12月法話

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見

 今回より、七高僧と呼ばれる方々を順番に紹介してまいります。まず初めは龍樹菩薩(りゅうじゅ ぼさつ)というお方です。

 龍樹菩薩は西暦150年~250年頃に、現在の南インドあたりで活躍されたお方です。お釈迦様の場合もそうですが、正確な生没年といった数字はいまだに確定されていません。この100年程の間のどこかで誕生され、そして活躍されたという大枠の範囲での数字です。昔のインドでは、あまり詳細な生没年などは気にしなかったようで正確な記録はありませんが、おおよそこの時代であることは分かっているようです。

 『正信偈』の御文を見ますと、まずお釈迦様が楞伽山(りょうがせん)という山で、“南インドに龍樹という修行者が現れるだろう”と予言されたところから始まります。

ここは事実としてお釈迦様が予言をされたかというよりも、龍樹菩薩がお釈迦様の後継者とされる程偉大な功績を残された方であった事を、後世に伝えんがための伝説と見るべきだと言われています。実際、日本においては“八宗の祖”(この場合の八宗とは全ての仏教宗派の意)と呼ばれ、大乗仏教の基礎論理を確立された偉大な方なのです。

 また、この龍樹菩薩について、出家の動機とされる次のような話が残されています。

 当時、すでにあらゆる学問に精通していたとされる龍樹は、友人3人と共謀し、隠身の術を用いて王宮に忍び込みます。そして次々と女官を誘惑していくのですが、ある時ついにその悪事が王にばれてしまうのです。王は家臣に銘じて、王宮中に細かい砂を撒かせます。

そうとは知らない龍樹一行は、その日もいつものように忍び込みますが、すぐに王宮の兵士たちに見つかってしまいます。いくら身を隠していても、砂にその足跡が残ることで居場所がばれてしまったのです。

そのとき龍樹は王のすぐそばでじっと身を潜めていたことで難を逃れますが、友人たちは 次々と兵士に見つかり、殺されていきます。一命をとりとめた龍樹は、快楽がかえって苦を招くことをさとり、出家を決意したと言われています。

このような伝説的なエピソードも、事実かどうかではなくそこに示される意味を見ていく必要があるのでしょう。たとえ学問的にすぐれ快楽を究めていっても、結局はそれこそが苦の原因となっていくのです。お釈迦様の伝記にも通じる部分がありますが、そのような苦からの解放・解脱こそが仏教の目指すところなのだと教えてくれる話ではないでしょうか。

次回はその龍樹菩薩の示された教えについて書いてまいります。