2月法話

宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽

 仏道修行によって仏を目指す行者を、大乗仏教では菩薩と呼びます。このような仏に成る前の菩薩の段階は大変長く厳しいもので、最高位が仏様の悟りである「妙覚(みょうがく)」、そしてその一段下は、ほとんど悟りに等しい位という意味の「等覚(とうがく)」と呼ばれています。そしてその下に50もの位があり、計52段という修行の段階を経なければ、本来は悟りを得ることが出来ないとされているのです。

もちろん一つの段階を上がるのも果てしない時間と修行が必要ですし、そもそも私達ではその初めの位にすら上がることなど出来ない程です。

そしてこの52段階の中で、大きな関門となるのが41段目の「初地(しょじ)」です。菩薩といえども、40段目までは、なまけ心や自己満足の心から、もとの段階に転がり落ちてしまう恐れがあると言われています。しかしこの初地の位に至ると、そのような心も起こらずもう決して後ろへ下がることはありません。時間はかかりますが必ず悟りに至ることが定まった(必定)位であるとされているのです。ですからこの初地の位は、別名「不退の位」とか「歓喜地(かんぎじ)」とも呼ばれています。

 龍樹菩薩というお方は、様々な自力行の果てにこの不退の位である歓喜地にまで至った史上まれなお方であります。その龍樹菩薩もまた、阿弥陀様のお浄土へ生まれることを願い、ご本願のお念仏をよろこぶ願生者でありました。歓喜地に至った後も行を積み重ねて等覚・妙覚と、順番に段階を上っていったとは伝わっていません。これほどの菩薩であっても、最終的には自力の心を捨て、他力本願のはたらきにいのちを預けて行かれたのです。

ではこのような不退の位である歓喜地に至るにはどうすれば良いのか。龍樹菩薩は『十住毘婆沙論(じゅうじゅう びばしゃろん)』というお書物の中で示してくださいます。それが「正信偈」本文に出てくる次の「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」という部分なのです。

それについてはまた次回書かせて頂きます。