お経のお話 其の六

『仏説観仏説無量寿経(観経)』について

前回の『仏説無量寿経』に続いては、『仏説観無量寿経』略して『観経(かんぎょう)』についてのお話です。

この『観経』の大きな特徴としては、お釈迦様ご在世の時代、つまり約2500年前インドに実在したマガダ国という国の城で起こった、通称「王舎城の悲劇」と呼ばれる出来事を通してお念仏の教えが説かれているということです。

この「王舎城の悲劇」とは、マガダ国王子・アジャセがクーデターを起こして自身の父親であるビンバシャラ王を幽閉し、その王の為に食物を運んだ母親イダイケ夫人までも宮殿の奥に閉じ込めたという事件です。

また、「王舎城の悲劇」ではこの3人以外にも、お釈迦様の従兄弟でありお弟子でもありながらこれを裏切り、アジャセ王子をクーデターへとそそのかしたダイバダッタや、アジャセ王子の出生に関わる仙人、マガダ国の大臣等様々な人物が登場します。どの人物もそれぞれが自らの欲を求めたり、怒り、苦しみを抱えたりといった凡夫らしいすがたで表現されています。

この「王舎城の悲劇」の詳しい内容は、他のお経の中でさらに細かく説かれていますが、『観経』においては、主に幽閉されたイダイケ夫人とお釈迦様とのやり取りを中心に描かれます。

閉じ込められたイダイケ夫人は、マガダ国郊外の山に滞在されていたお釈迦様を心に念じ、説法を求めます。お釈迦様はその救いを求める心を受け、宮殿にいる夫人の前に現れるのです。

その後イダイケ夫人は苦悩無き世を求め、特に阿弥陀様のお浄土への往生を願います。そしてお釈迦様は、精神統一等往生の為の様々な修行方法を示しながら、しかし最後には「南無阿弥陀仏」とお念仏申すことこそが、浄土へ往生する唯一の行であることを示されるのです。

これにより『観経』におけるお釈迦様の本意とは、様々な行に頼って浄土往生を目指すことではなく、他力のお念仏こそ唯一の浄土往生の要であることを示し、念仏一行を勧められたと見ることが出来るのです。ここでいう様々な行とは何かといえば、例えば浄土真宗以外の宗派で説かれる行に頼ろうとする事や、また”私がお念仏したから往生出来る”といったように、自分の頑張りを往生の因とするような行為・考え方を指します。

私の浄土往生の為の準備は、すでに阿弥陀様が準備万端整えて下さいました。そこに一切の不足など無く、完成されたはたらきが今わたしに届いているのです。ですから安心して阿弥陀様のこのいのちを任せていけるのです。

私の口から出るお念仏は、そのはたらきが届いている証です。