『仏説観仏説無量寿経(観経)』について
今回は『観経』に説かれる「王舎城の悲劇」とはどのような出来事だったのかをイダイケ夫人を中心に具体的にお話してみたいと思います。アジャセ王子はなぜクーデターを起こしたのか、その因縁は王子が生まれる前から始まっていたとされています。
当時、なかなか子供を授かることが出来なかったビンバシャラ王とイダイケ夫人は、頼りにしていた占い師にそそのかされ、我が子欲しさにとある仙人を殺害するよう兵に命じます。そしてこのとき仙人は夫妻への恨みを口にして絶命していきます。
その後無事に子供を妊娠した夫人ですが、出産も近づいた頃、占い師から今度は「生まれてくる子は仙人の生まれ変わりであり、両親に強い恨みがある。いつかお二人を殺害しようとするでしょう。」と予言されます。仙人殺害のうしろめたさ恐ろしさから、王と夫人は出産と同時に我が子を2階から落としてでも殺害しようと試みますが、奇跡的にも王子は指を一本失っただけで助かります。そこで二人は心をあらため、アジャセと名づけたこの王子を大切に育てることを決意するのです。
しかし時が経ち今度は成長したアジャセ王子が、お釈迦様の弟子で従兄弟でもあるダイバダッタにそそのかされてしまいます。両親の都合で自分が殺害されかけた過去を知らされ、その怒りから父ビンバシャラ王を投獄、また王を助けようとした母イダイケ夫人をも幽閉するのです。
その後、幽閉されたイダイケ夫人は、目の前に現れたお釈迦様に向かって「信じていた我が子に裏切られ、なぜ私ばかりこんな目にあわねばならないのか」「我が子をそそのかしたダイバダッタはお釈迦様の弟子であり親戚だと聞きました。私が今不幸なのはお釈迦様のせいではないか」と、自身のこれまでの行いなど忘れ、お釈迦様に恨み愚痴を向けていきます。しかしお釈迦様は夫人の言葉をただ静かに聞き、そして巧みな方便を通して阿弥陀様のお念仏による救いを勧めていかれるのです。
このような背景を踏まえて『観経』を読んでいったとき、阿弥陀様の救いの目当てとはどのような者であるかを気づかされます。それは厳しい言い方をすれば、自分の都合で物事を考え、自分は間違ってない、何か嫌なことがあれば自分以外に原因があると考えるようなイダイケ夫人であり、それはつまり凡夫=私のすがたそのものではないでしょうか。自分の力では決して仏と成ることなど出来ないこの凡夫(私)こそ、阿弥陀様が必ず救うと誓われた目当てだったのです。
阿弥陀様のお慈悲の心を聞かされた時、同時に私自身のすがたに気づかされるのです。