お経のお話 其の九

『仏説阿弥陀経(小経)』について

前回に続き、『仏説阿弥陀経(小経)』の後半部分についてお話させていただきます。

 前半の極楽と呼ばれるお浄土の様子を説かれた後、このようなお浄土に生まれるためにはどうすればよいか、それは南無阿弥陀仏のお念仏申すことであると示されます。

私たちはお念仏のような簡単に出来る行よりも、難しく厳しい行の方に価値があると、つい考えてしまいがちではないでしょうか。確かにお念仏を称えるという行為は誰でもすぐに出来てしまいます。しかし世間の常識では計れないのが阿弥陀様の救いなのです。

私が称え、私の口から出ているお念仏ですが、この南無阿弥陀仏は阿弥陀様の「(この私を)必ず救う」のはたらきがすべて込められ、よび声となって私に届いています。お念仏申すすがたは、声の仏様となって今私の口からあふれ出て下さっているすがたなのです。このお念仏こそが他のどんな行よりも功徳を具えた最勝の行なのです。

しかし、たとえ勝れた徳を具えた行であっても、誰も出来ないような難しい行であるならば私にとって救いにはなりません。誰でもどこでも簡単に出来るからこそ、全ての者が救われる教えと言えるのです。だからこそ、阿弥陀様はお念仏という方法でもって、今私に届いて下さっているのです。これこそが私たちがお浄土へと往生し、仏教の最終目標である仏と成るための唯一の方法であると教えるのです。

さらに、そのお念仏のみ教えが方便(真実へ導く為の手段としての教え)ではなく、真実のみ教えであることを、阿弥陀様以外の仏様方が証明して下さるのです。

 阿弥陀様のお念仏による救いとは、阿弥陀様一人が勝手におっしゃっているのではありません。その真実性をたくさんの仏様方(これを諸仏と呼びます)が、声をそろえて証明して下さるのです。この『仏説阿弥陀経』では、東南西北の四方と、そこに下方と上方とを合わせた六方の世界におられる諸仏のお名前を挙げ、それぞれが阿弥陀様とその教えを讃えながらお念仏を勧められるのです。同業とも言える諸仏全員からの証明と勧めによってこれ以上ない確かなみ教え、つまり真実のみ教えであることが示されているのです。

 

お念仏とは、阿弥陀様がすべてのいのちある者を救わんがために完成された救いです。誰でも出来るお念仏、しかしその中には諸仏も讃嘆し勧めるほどの勝れた徳が具わっています。誰でも出来るからこそ有難い、そのような救いのはたらきが今、もうすでに私に届いているのです。