『正信偈(しょうしんげ)⑤』
日常のお勤め「正信偈(しょうしんげ)」⑤
阿弥陀様のお徳のはたらきは私を照らして下さる光と喩えられます。今回の「普放無量無辺光」より「一切群生蒙光照」までの御文は、まさにそのお徳の特徴を12種類の光の名前を出しながら示された部分です。
解説のように順番に見ていきますが、まず「普放」と「照塵刹(塵刹を照らす)」という語は、間に示される12種の特徴の光が、“広くすべての国々を照らす”という意味です。
そして最後の「一切群生蒙光照」は一“すべての生きとし生けるものはこの光に照らされる”という言葉となります。つまり、光と喩えられる阿弥陀様のはたらきはどこまでも届かない所はないという特徴を表しています。
では12種に喩えられる光とはどのようなものでしょうか。短くですが順番に見ていきましょう。
- 無量光…量的に無限、つまり永遠に輝き続ける光と喩えられる。
- 無辺光…普く広がっていく光、届かない所がない光。
- 無碍光…なにものも障害とならず、自由自在に届く光。
- 無対光…比べる対象が存在しない。比べものにならないほどの徳を具えた光。
- 光炎王…光の王と喩えられるほどのはたらき。また、私の煩悩を焼き尽くすような炎に喩えられる光。
- 清浄光…何よりも清らかな光であり、同時にあらゆるものを清めるはたらきを具えた光。
- 歓喜光…私に向けられた、阿弥陀様の大きな慈悲の心に触れた時に沸き起こる慶びを与えてくれる光。
- 智慧光…私を照らして下さるこの光は、それまで気づかなかった私自身の凡夫という本当のすがたを気づかせて下さる光。阿弥陀様の光は智慧の象徴と表されます。
- 不断光…決して途切れることのない光。阿弥陀様の光は、一瞬の油断もなく常に届いて下さいます。私がどのような時であっても必ず
- 難思光…私の思いを超えた、考えもつかない光。「不思議」とも言い換えることができる、世間の常識をはるかに超えたはたらきを表す。
- 無称光…「称」は称賛の意味で、とても褒め称えることが出来ない、讃え尽くすことが出来ない程の光。
- 超日月光…私たちの生きている世界の中で最も明るい光源である太陽と月の光、これらの光すら輝きを失ってしまう程の光。
以上、12種の光に喩えながら阿弥陀様のお徳を讃嘆されています。もちろんこの12種の喩も『仏説無量寿経』に説かれている表現です。
阿弥陀様のお徳やはたらきとは本来、表し尽くす事の出来ないほど大きなものでありますが、私達人間は言葉でもって表現しなければ認識できません。ですから、お経の中で12種の光という喩(たとえ)でもって、私たちにそのお徳のすばらしさを教えて下さるのです。