11月法話

本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就

本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就

前回は『仏説無量寿経』の言葉に依って、阿弥陀様のお徳を12の光という喩でもって讃えられた御文でした。ここからの4句は、阿弥陀様が誓われ、そして完成して下さった48願の中から要となる3つの願を要約された部分になります。

ここでは出来るだけ専門的な解説にならないようにしますが、この4句で親鸞聖人が伝えて下さることは、

  1. 阿弥陀様の本願の名号、つまり南無阿弥陀仏は、私を必ず仏とならしめるはたらきである。(これは阿弥陀様が完成された48願の中の第17番目の願により明らかにされている。)
  2. なぜ「必ず仏となる」と言えるのか、それは私自身の頑張りを因とするのではなく、阿弥陀様の「必ず仏とならせるぞ」という本願(48願中の第18願)がすでに完成していることを因とするからである。
  3. 私のいのち終わるときが、私が必ず仏となるときである。つまり私は今、大涅槃と呼ばれる仏の位・さとりの境地の一歩手前の位にあると言える。(これも阿弥陀様の第11番目の願の完成により明らかにされている。)

という内容です。

 正信偈全体を通しても大切な内容が示されたこの4句ではありますが、この中でも特に②の部分、本文で言えば「至心信楽願為因」という句になります。ここで示される内容が浄土真宗にとっての要の部分となります。それは、私が仏と成る根本の因は私自身の行いではなく阿弥陀様のはたらき一つで決定しているという教えです。

 浄土真宗では、本願に誓われた阿弥陀様の「必ず救う」「お念仏申しておくれ」という声を聞き、そのはたらきを「必ず救われる身である」とそのままに受け入れていくことを信心と呼びます。つまり信心こそが私の成仏の因ではありますが、この信心すらも元をたどれば本願にいきつきますから阿弥陀様から賜ったものであります。つまり私の成仏は100%全てが阿弥陀様のはたらきひとつで決まっていると言えるのです。

 このように成仏の因の全てを阿弥陀様にまかせていくのが浄土真宗の大きな特徴です。これを専門用語では「信心正因(信心が成仏の正しき因である)」と表したり、またこのような阿弥陀様のひとりばたらきを「絶対他力」と表したりします。

 では、これまでの毎月の法話でも何度も出てきた南無阿弥陀仏のお念仏とは何なのかという事になります。私が成仏できるのは信心が因であって、念仏を頑張ったからではないのならば、なぜお念仏申すのでしょうか。それは阿弥陀様のご苦労への報恩と感謝です。どこまでも私のためにはたらいて下さる阿弥陀様の「阿弥陀の名を呼んでおくれ、お念仏申しておくれ」という声を聞いて、その声の通りに阿弥陀様の名をよばせていただくのです。

 お念仏申すとは、阿弥陀様の声が、はたらきが今私に届いていますという何よりの証です。返しきれないほどのご恩に気づかされ、私からあふれる感謝のすがたなのです。