7月法話

獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣

 「信を得て大いによろこび敬う人は、ただちに本願力によって迷いの世界のきずなが断ち切られる」(現代語訳)

 阿弥陀様の信心を得た人に恵まれる「横超五趣の益」と呼ばれる利益が示されます。信心をいただき、阿弥陀様を心から敬いその教えに出遇えたことを慶ぶ人は五悪趣を超えて悟りの世界に生まれる身とならせていただくのです。この「五悪趣」という言葉を、現代語訳では「迷いの世界」と表現されます。これは仏教で表される5つ(又は6つ)の迷いの世界を指しているのです。

 迷いの世界とは、自分自身のなした行いによっておもむく世界のことで、次のように分類されます。

  1. 地獄(じごく)…罪に応じた罰を受け続ける、苦しみの極まった世界
  2. 餓鬼(がき)…つねに飢餓に悩まされる世界
  3. 畜生(ちくしょう)…鳥や獣、魚や虫などあらゆる動物の世界
  4. 人間…欲望に執着することによって苦悩する世界
  5. 天…天人や神様が住み、楽しみ喜びが多いが、未だ欲望にとらわれている世界

また、「六道」と言って6つに分ける場合は③畜生と④人間の間に「阿修羅」という、絶えず闘争に明け暮れる世界が入ります。

 これを見ると分かるように、仏教ではたとえ神様であっても迷いの世界の住人と考えます。私たちはこの迷いの世界から抜け出すことが出来ずに生まれ変わりを繰り返しているのですが、そのことにすら気づかず、また抜け出そうとも思わずに生きているのが現状です。この迷いの世界を超えることが出来る大きなはたらきこそが阿弥陀様の本願力です。

本文では、信心をいただいたならば“即(すなわち)”、そして“横”にという表現をされています。“即”ですから時間を置くことなく、信心得たその時にということです。 では“横”とは何でしょうか。

親鸞聖人は仏教を“竪(たて)”と“横”とに分けられます。竪とは自力を表し、横は他力を表しています。自力による悟りを目指す仏教とは、一つ一つ自らの煩悩を断ち切っていき、まるで階段を上へ上へと登っていくようにしてついに悟りの境地に到達し、迷いの世界を離れてくという生き方です。理屈としては理解しやすいのですが、実践出来るかと言われればどうでしょうか。親鸞聖人はお念仏を通してご自身と向き合いながら、とても煩悩を無くしていく生き方など出来ないのが私であると知らされたのです。

それに対し他力には、自身の力でなく私達人間の常識・道理を超えた本願力というはたらきによって迷いの世界を超えていける救いです。その不思議なはたらきを、“横さま”と表され、迷いの世界に繋ぎ止めているきずなを“截”つまり断ち切り、迷いの世界を“超え”ていける利益が今私に届いているとよろこばれたのです。