9月法話

一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華

 善人であっても悪人であっても迷いの世界に生きる全てのものは、阿弥陀様の弘誓の願つまり本願を疑いなく聞き入れ信心をいただき慶ぶならば、お釈迦様は「仏德の最高の理解者」であると誉め讃えられます。また、このような者を「分陀利華(プンダリーカ)」と名づけられるのです。

 ここで出てくる「分陀利華(プンダリーカ)」とは、純白の蓮の華・白蓮華のことです。蓮華は仏教を象徴する華ですが、その理由は蓮の華が咲くその環境にあります。

蓮は清流では育ちません。汚泥の中でこそ育ち、しかもそこからまっすぐに伸びて咲く華は決して泥に染まることはないのです。汚泥の中にありながら、しかし決して泥に染まることのない純白の華のすがたを、迷いの世界で煩悩の濁りの中にありながら、その濁りに染まることのない念仏者のすがた・信心いただいた者のすがたに喩えられ、誉め讃えて下さったのです。

浄土真宗で読まれる浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)の中でも、様々な表現で蓮華は出てきます。たとえばお浄土には、色とりどりの蓮華が咲き誇っている様子が説かれていますので、これを根拠として本堂やお仏壇の中にもよく蓮華が描かれます。実際、仏教が誕生した今のインドという地域は年中暑く、涼しげな水辺に蓮の華が美しく咲く光景は、まさに心の安らぐ特別な世界のように思えたでしょう。そのような蓮華の中でも特に白色の蓮華は、泥に染まらない美しさとその高貴さから、最もすぐれた華とされており、最高の誉め言葉として喩えられる際に使われます。

お釈迦様はそのような最高の誉め言葉でもって、念仏者を讃えて下さいます。私が本願を受け入れ、信心いただきよろこぶすがたを、阿弥陀様やお釈迦様は何よりもよろこんで下さるのです。