お経のお話 其の三

浄土真宗は「浄土三部経」 というお経に説かれる教えを拠り所としていく宗派です。しかし、なぜこの3つのお経なのでしょうか。

 もちろん仏教にはこの浄土三部経以外にも有名なお経はたくさんあります。たとえば『般若心経』や『妙法蓮華経』(通称『法華経』)などはその代表と言えるでしょう。しかしこれらの教えでは私は救われないと考えるのが浄土真宗です。ただここで誤解しないでいただきたいのは、浄土三部経以外のお経の内容が劣った教えであると言っているのではないということです。私にとってその教えが救いとなる教えかどうかが問題なのです。

先ほどの『般若心経』や『法華経』等のお経に説かれるような、仏教徒として正しく清らかな修行・生き方を実践すべきはずなのに、現実の私のすがたはどうでしょうか。欲や怒りの心は消えることなく、他の生命を奪い、周りに迷惑をかけなければ生きていけない、このような煩悩にまみれた私が果たして仏と成ることなど出来るのでしょうか。

しかしそのような煩悩から離れることが出来ず、仏になど成れるはずのない私こそ、心配でたまらない、救わずにはいられないと寄り添って下さる阿弥陀様がいて下さるのだと、浄土三部経は教えてくれるのです。

これは、それまでの仏教で当たり前と考えられていた私の側から頑張って修行して仏に近づいていく「自力」と呼ばれる教えに対し、阿弥陀様の側から私を必ず仏と成らせるはたらき・ ナンマンダブツのお念仏となって届いて下さる「他力」の教えと呼びます。私が仏と成るための準備は、阿弥陀様がすべて整えてくださっていたのです。

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人も、比叡山での修業時代に煩悩から離れることが出来ない自身のすがたに悩み、苦悩する中でついに阿弥陀様の他力のお念仏のみ教えに出遇われ、「この教え以外に私が救われる道はない」と喜ばれていかれたのです。親鸞聖人が喜ばれた阿弥陀様のはたらきが今、私にも届いて下さっているのです。