3月法話
カーテンを翻し、さあ春がきた。さていよいよ弥生、三月。
こんな話がある。
愚かな召使いと、その主人がいた。ある時主人が言った。
「お前ほどの愚かな者に私は会ったことがない。そこで、世界一の愚か者が持つ杖をお前にやろう。そして、もしお前よりも愚かな者がいたなら、その杖をそいつに渡すがいい。それまでその杖はお前が持っていなければならぬ。」と。
さて、世界一愚か者と言われたこの召使いは、悲しみ泣きながら自分よりも愚かな者を探した。けれど見つけることは出来なかった。
そのうちに、主人が臨終の時を迎えた。そこで世界一愚か者と言われた召使いが、主人のそばに座って尋ねた。
「ご主人様、外で皆が遠い遠いところへ旅立つと言うけれど、どこにいらっしゃるでしょうか。」
すると主人は「いや、わしは知らん。」と答えた。
これを聞いた召使いが続けて
「その道程は?」
と尋ねても主人は
「知らん。」
と言う。
「ご主人様、旅立ちの準備は出来ていますか?」
と尋ねれば
「いや、その準備は何も出来ておらん。」
そこでこの召使いは、はたと膝を叩き、
「これから遠い遠いところに旅立つというのに、自身の行き先も分からなければ、道程も知らない。その準備も出来ていないとは。私よりもあなたの方が愚か者ではありませんか。」
と言いながら愚か者の杖を主人に渡したという。
「お前何かい人間かい どこから来たかい どこへ行くかい とんと行く先しらんかい それでもやっぱり 人間かい」という歌がある。
親鸞聖人は、師である法然聖人が次のような言葉を常々おっしゃっていたと示される。
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」『親鸞聖人御消息』
人間ほど愚かな者はいない。しかし人間ほど賢い者はいない。何故ならば、愚か者という事を知っているからである。しかし自分自身では愚者であると気づかない。誰に教えていただいたのであろうか。
ご挨拶
この度、これまで以上にたくさんの方々が、明元寺を身近に感じて頂きたいという願いのもと、新たにホームページを立ち上げることとなりました。
平成29年(2017年)より住職を交代、それに伴っての庫裏・会館の建て替え、そしてこの度より新たに樹木葬の増設等、明元寺も時代とともに変わっています。
お寺とは、訪れた方々皆が安心できる空間です。明元寺が皆様にとって安心できる居場所となれるよう、そしてお寺を通して阿弥陀様のお心を感じて頂ける場所となれるよう、変化して参ります。
このホームページや寺報『明元寺便り』の中でも、お寺の様子等は発信して参りますが、出来るならば皆様には是非とも実際にお寺へ足を運んでいただきたいと思います。山寺の自然豊かな空気の中、本堂に上がりご本尊の前で一緒にお聴聞し、お念仏いたしましょう。皆様のお参りをお待ちしております。
明元寺 住職
鷹取 直道
開寺 慶長5年
福智山麓と福智川に囲まれ
四季折々の表情を魅せる
普照山 明元寺
『筑前國続風土記拾遺』巻之31 鞍手郡 下 永満寺村の項によれば、「明元寺本村に在。真宗西京都本願寺直参也。慶長5年 (1600年)木佛寺号を許さる。」とありますように、明元寺はこの地に建立されてから400年以上、18代にわたって浄土真宗の教えとともに歩んで参りました。
鷹取山のその麓、もちろん建立当時とはその姿を変えていますが、200年以上の古い本堂を中心とした山寺には今日も昔と変わらないお念仏の声が響いております。